見つけられない金言

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「精神、意識、霊魂」

といわれています。

したがって、この三点を磨くことこそ、自己鍛鍊の主要素です。

「精神」「意識」を磨き、美しいものごとに接し、感動し、感激し、感謝することで「霊魂」を磨くのです。

こうして、これなくして人間にあらずという「性」、「人間性」が磨かれ、豊かになります。

もう一つ、性命は「天性と生命」を含んでいます。

地球上に七〇億人の人間がいますが、一人として同じ顔形、天性天分を持った人は いません。そのぐらい貴重なものです。

ぜひ自分の天性、天分に気づいてください。 そしてそれを伸ばすことこそ、「自分なりの人生」を生きることなのです。

そのためにも、自分の日常を一度しっかり見つめ直してください。こくこく身近な人に訊いてみるのもよいでしよう。

自分の天性、天分に目覚めてください。 生命は借り物です。いつかは返さないといけません。 そこで、どのように返すかが問題です。

あなたが何か貴重な物を貸したとして、「返してほしい」といったとき、相手が

「あれはすでに捨ててしまった」といったらどうしますか?

腹を立てるに決まっています。天もまったく同様で、二度と貸すものかと思うでしょう。

そこで私は、小学生に話をするときなどはこういいます。

「生命は借り物です。なぜならいつかは天が返してくれといいます。そのとき、『ああ、あれ、捨てちゃったよ』といったら、天はどう思いますか?したがって、生命は決して自分で捨ててはいけないものなんですよ」

人間は生まれるに当たって、「性命」を授かってくるというのが儒教の考え方です。 生まれ出たときから、すでに人間としての姿をして出てくる。姿だけ人間かといえば、そうではない。当然内容も人間なのです。

これを「性命」、万物が天から授かった各々の特性や性質と生命、したがって人間は人間としての特性や性質、これなくして人間にあらずというものです。

では、性命とは何からできているのかといえば、

「人閎性と理性」

「天種と生命」

「天性と生命」

からできています。

ものごとを調べているとき、「こういう文献があれば……」とそのことばかり考えていて、ふと書店に入ってみると、あるコーナーに引きつけられ、1冊の本が妙に光って見える。

手にとると、「これぞまさしく探し求めていた本だ」ということは、私の経験でも何回もあるものですが、そのときがまったく同じでした。 「無為とは何かといえば、いまヨチヨチ歩きの孫が遊びに来たとしようか。手を取ってしまっては歩く訓練にはならない。

しかし、いつどこで転ぶかわからない。転んで 怪我でもしたら大変だ。ではどうするか。『緊張感をもって見守る』しかない。

転ぼうとする一瞬に身体を抱いてあげられるように、と」 と思いました。実によい解釈です。

「無為とは、緊張感をもって見守ること」 なのです。無為というと何もしないことと思ってしまいますが、これは間違いです。

そもそもは、「人為を排する」ことなのです。人為というのは恐ろしいことで、一つの漢字にしてしまえば「偽」となってしまいます。

とても危うい行為なのです。 そもそも人間の力には限界があります。ある所からは、天の力、この天地の間に充満しているエネルギーに任せてしまうことです。

イチロー選手も、たとえばランニングでいえば、二塁べースを回った頃から自分で 走ろうなどと思わず、勢いに任せてしまったほうが、よいべースランニングができる ものだと語っています。なにごとにも通用する極意です。

「逃げないで正面から取り組み、力の限りやってみる」

そうすると、たとえば「営業のコツはここにあったのか」とか「商品開発のポイントが少し摑めた」など、何か得られるものです。 若い純粋な心が一途にその仕事に向かわせるからです。

つまり、これこそが「仕事を通して自己の向上をはかること」で、これを繰り返すことが真の仕事のやり方なのです。

あえて、収入や利得と悟りの関係についていえば、悟りを求めて仕事に励んでいること自体がその仕事に卓越していくことを表しているわけですから、腕が上がり、技術が上り、名人や達人へと進んでいくことになります。

わが国には伝統的に「術から道へ」という昇華の考え方があります。柔術は柔道へ、医術は医道へというようにです。

術のレべルは、まだまだ単に手練手管としてその術を駆使しているにすぎませんが、 これが精神的領域、精神鍛鍊も加味され、それによって道理、道義を把握できるようになる、つまり悟りの心境に近づいていけるようになると、それは道となるのです。

それはまた、この世に存在する万物との一体化と、宇宙の間に存在するエネルギーの活用も自由自在になることを表しています。

つまり、わが国伝統の勤労観では、なぜ働きにいくかといえば、その仕事の「修行を通して道を得、悟りに至るためだ」といっているのです。

端的にいえば、「悟るために働いている」というのです。

悟るとは、迷いが去って、その向こうにある永遠の真理に出会うことです。したがって、何ごともその本質がよく見えるようになって、本質に向かって手を尽くすこと になりますから、行っていることに間違いがなくなります。

どのような仕事であっても、思い通りに円滑に進んで目的を達成することになります。仕事をうまく行えるようになるためということから出発して、いわば修行をしていくのですが、そこに仏法の心が重要だといっています。

これは何かといえば、まさにこの世の永遠の真理、何ものにも固執することなく邪魔な感情を取り去って見える本当の自分とでもいうべきものに到達することです。

関係維持のために貴重な人生のリソース割いて得られるものといったら他人のどうでもいい情報ばかり

少ない小遣いだって交際費に消えてその分趣味のものも買えない…

派閥ができたらどちらかに加担しなければいけないあの空気

結局あの手の人間関係はわかりあいたいんじゃなくて誰かを仲間外れにしたいだけなんだ

「仁」とはもともと人間の条件なのである

徳が身についていないのではないか。学問を怠りはしなかったか。正しいことと知りながら実行しなかったのではないか。悪いことと知りながら改めなかったのではないか。これが私の恐れていることである、というのだ。

わが身を反省するチェック・ポイントを四項目あげているのであるが、そのなかに「義を聞きて徒る能わざる」も入っているのである。孔子のような人にとっても、「義」の実践はやすやすとできるものではなかったらしい。

このように孔子も「義」を重視したが、孔子以上に「義」を重視したのが孟子である。孟子にとって「仁」と「義」はほとんど同格に近い。たとえばこのことばである。

「仁は人の心なり。義は人の路なり。その路を舎てて由らず、その心を放ちて求むるを知らず。哀しいかな」

「仁」は人の心であり、「義」は人の路である。だが、世の中の人々は、その路を捨てて歩まず、その心を失っても顧みようとしない。なんと悲しいことではないか、というのである。

また筆者はこうも語っている。

「仁は人の安宅なり。義は人の正路なり」

「安宅」とは、安心して身を寄せることのできる住まいという意味である。

孟子によれば、人間は誰でも生まれつき「仁」や「義」の心を賦与されているのだという。

だが、普通の人間はややもするとその肝心なものを忘れてしまう、と嘆いているのである。

「礼」の基本は、

一、姿勢を正すこと

一、顔色をととのえること

一、ことばづかいに気をつけること

この三つなのだという。

まず姿勢である。私ども日本人はこれに無頓着なせいか、

歪んだ人や前かがみになっている人が多いように思われる。これでは健康にも悪いし、周りに与える印象もよくない。なるべく背筋を伸ばして、軽やかな歩き方を心がけたい。

次は顔色である。ふやけた顔、締まりのない表情、これはいただけない。私的にくつろいでいるときは別だが、公の場や仕事の場においては引き締めてかかる必要がある。顔つきを引き締めることによって内面を引き締めるといった効用も無視できない。

もう一つは、ことばづかいである。日常の挨拶から始まって、あらたまった席での口上まで、きちんとした受け答えができるようでありたいのだという。

要は、この三つのことを含めて、周りの人々に「ああ、さわやかだなあ」という印象を与えるようなあり方がほしいということである。これを身につけるだけでも「礼」に近づくことができるのだという。

「なんだそんなことか」と思われるかもしれないが、これは意外に大事なことであって、リーダーの条件でもあるのだと言う人もいる。

ニベアの化粧水は顔洗ったことになり肌呼吸できるから楽でいい

耐えられる自分をつくる極意は、逃げないこと。私は辛酸の最中にいる人に、 「あなたは天から期待されているんですねえ。そうでなければ、こんなチャンスを与えてくれることなんか天はしませんよ」

こういいます。歴史上の人物を見つめていると、事を成す人物は、その前の一時、 若年の時期に苛酷な辛酸を経験しています。これはどのような意味があるかといえば、孟子は『孟子』の「ぎ子章句下」で、ちゃんと次べージのように述べています

それに対し八代将軍徳川吉宗は庶民たちの不満や役人たちの不正を直接知ることができるように、また庶民も幕府に直接訴える手段があると思えるように目安箱を置いた。

投書の中には実際に採用された意見も多い。庶民が無料で治療を受けられる小石川療養が設置されたのも、1人の医師の目安箱への投書がきっかけだった。

ただし、内部告発や苦情をすくい上げるシステムだけつくっても、個人攻撃自体はなくならない。リーダーはこのような中傷に決して耳を貸してはならないが、だからといってそのまま放置しておくのも危険である。

スティリコのときと同様、騒ぎが大きくなれば個人攻撃も時として組織全体に害を与えるからだ。そのため、「根拠のない誹謗中傷は絶対に許さない」と徹底的に取り締まる必要がある。リーダーがそうした断固たる姿勢を崩さなければ、必ず駆逐することができる。

同じく戦国武将の黒田長政も、次のように言っている。

「私は、若い連中を三組に分けて実戦に参加させた。第一組は一見、男らしくて才能のある連中。第二組は一見弱々しく、また才能もあまりなさそうで、何の働きもしないだろう と思われる連中。残りの一組は取り立てて勇気があるというわけではない、ごく普通の連中だ。

すると、第一組のなかに一人か二人、非常に臆病な者が出た。そして驚いたこと に、何の働きもしないと思われた組に一人か二人、勇士が現われた」

また、自分の部下に優秀な人間がいるのに気づかず、よその部署の部下がよく見えることがある。

いわゆる「隣の芝生は青い」だが、よその部署の人間ばかり誉めているとせ っかくの優秀な部下を失うことにもなるので注意したい。

例えば、「山に登りたい」と言うと、すぐに「危険だ、よしたほうがいい」とくる。 オートバイなどで、ちょっとでもスピードを出しすぎると、「どうして、そんな危ないことばかりするのか」と怒鳴りつける。 しかし、本田はオトナの感覚で判断しないで、それぐらいは放っておいてもいいではないか、と咎める気持ちはない。

「若い人たちは、まだ自分の思想も固まってない。いろいろ未知を追求し、体験して いくうちに、自分の考えもはっきりして、その個性も形成されていくものである」

他人に犠牲を強要するな

さらに、こう続けるのだ。 「もしも、ある程度、いき過ぎや過ちがあつたとしても、それは前向きの姿勢であり、正しさを信じての行動であれば、それは “若気のいたり “として許されるのだ」

こういう行動は「若さの特権」だと認めているが、社会生活を営む以上、この「自由」にも制限があると本田は釘をさしている。

「オートバイを飛はし過ぎ、人や物に危害を加えたり、遊び過ぎて盗みを働くなど、 もっての外のことである。善意の他人に迷惑をかけることは、社会人として、自由人として最高の犯罪だと思う。絶対に他人の犠牲を強要してはならないのである」

明日のことをいうやつは バカだというけど

明日の約束をしないやつに希望は湧いてこない

人間、理屈をつける気になると、相当に無理なことにも一見もっともらしい正当づけ、あるいは合理づけができるものである。(中略)科学や技術の世界なら、そんな 、ゴマカシは通用しない。

「テメエの都合を考えてるやつは結論を出せないって言うんですよ。会社でマネジメントをやってると、そうやると俺が忙しくなるとか、俺の立場がなくなると、

自分の立場を考えて、言葉巧みにもっともらしいことを言う。そこから墟が始まるんです。ですから、やると具合が悪くなる人は、やらない方向、やらない方向へ話を時ち出すから、結論が出ない。

そういう時、自分を捨てれば、すぐ結論が出るとおっしゃってましたね。損得は後で考えればいいと」

桜井淑敏氏(元ホンダ?1チーム総監督)は、上司に 遠慮して妥協したためにこっぴどく怒られ、「真実は権力よりも強いんだ」と本田に教えられたという。

それに対して、本田はメーカーの経営者であるが、トイレにかなり神経を使っている。

昭和27年に買収した、埼玉の雨漏りする白子工場を修復する際「いちばん初めに水洗便所を作ると社長が言いだしたが、わずかな限られた金しかなかったから、別の方に使いたいと思い、少し渋ったけれども、社長に押し切られた」

と藤沢は書いている。藤沢によると、本田は「人間は入れるところと出すところをきれいにしないで、どうして美しい製品が生まれるか」と言ったという。

本田は、

「トイレというものは、生活の中で、すこぶる重要な部分を占めている。それこそ、 衣・食・住・便と並べたいほど、必要欠くべからざるものと思う」

という生活感覚だったから、まず手始めにトイレから整備したのである


どこかに人間不信の念を持っている。米沢の人々にはそれが全くなかった。平洲のいうことは、まるで砂地が水を吸い込むようにスイスイと受け止められた。

これは平洲にとって喜びだった。 「曰本には、まだまだこういう純粋な人々がいる」 それが大きな励みになった。だから、平洲は「何を」という内容を、「どのように」いかに わかり易く伝えるか、という「表現」の面でも、多大な苦労をしていたのである。米沢ではその苦労が実った。

興譲館にどっと押し寄せた町人や農民たちの姿を見て、平洲は考えた。

(米沢の興譲館本校だけで講義を行なっていればいいというものではない。こういう機会は滅多にない。私もそうしばしば米沢に来られるわけではない。ひとつ、城から遠い里にも行って 同じ話をしよう)

「その費用を生むのだ」

即ち縻山は改革の目標を、 「米沢に住む人々全員が、 “忍びざるの心 “という、他人への優しさ、温もり、思いやりを持つことだ」

と定義した。

「どんなに薬がいいものであっても、毒と一緒に用いれば毒の方がかえって勢いを増す。十人の忠臣がいても、一人の不良の臣が入っていれば、その毒回りは早い。ましてや、十人の忠臣の中に三人の不良の臣が入っていた場合は、七人の忠臣はあってもなきが如くで、薬と同じで

「一向に効き目がない」

といっている。

平洲はまた 「世子を育てる時に最も大切なのが孝悌の徳をいざなうこと。さらに仁恕の心を育てること」

といっている。仁というのは、自分のことは二の次にして、とにもかくにも他人のことを憐れみ、心配すること。恕というのは物事に対し思いやりが深く、他人のことを考えない自分勝考をしないことをいうと説く。

「すばらしい。もしそれが実現したら、秋山先生は日本一の幸福な学者だ」 といった。秋山もそのとおりだと頷いた。

この熊本における学校づくりはやがて実現する。この経過と細川重賢の秋山玉山に対する入れ込み方は、いつまでも細井平洲の頭の中に残った。

そしてこれがそのまま、後の上杉魔山の興譲館設立につながっていく。しかし上杉鷹山は細川重賢とは違って、

「学校で学問を教える者も、学ぶ者も、藩の財政事情を厳しく知るべきである。そうしなければ、本当の実学が学べない」

といった。この考え方は、細井平洲が注ぎ込んだものだ。平洲は、「実学が実学であるために、やはり現実と離れてはならない。現実生活の厳しさを知ってこそ、教師も本当の学問を教えることができ、また学生も学ぶことができる。現実を避けてはならない」 と、いってみれば細川重賢と真向から対立する教育観を展開した。

小さな恥を気にするな。小さな恥を気にしているようでは大きな功績をあげることはできな い、という。

男はしばしば恥を気にする。「寿ければ辱多し」とさえいう。恥をあげたらきりがない。だが、気にする恥はえてして小さい恥だ。そんな恥は忘れろ、という。

管仲は大きな恥をかいた。かれは桓公に矢を放って、その帯留に当てた。これは簒奪を意味した。公子糾を見捨てた。これは卑怯者の恥だ。

捕らえられ罪人として手枷足枷をかけられたが、これで終わっていれば、単なる罪人だった。しかし、かれはそうした恥を恥とせず、天下が治まらないことのほうを恥と考えたので生きることができ、やがて桓公を春秋五覇の筆頭におしあげる功績をあげることができた。

管仲がかいたほどの恥でも、大物はそれを克服して、大きなことをやる。小さな恥を忘れられないようでは何もできない。

「植物は、適した土地に植えるのでなければ育たない。

子どもも、やる気がないのにこれに教えようとしても、ものにはならない」

前半が有名だが、意味はむろん後半のほうにある。親が子どもを自分の思うとおりに育てたいと思うことは少なくない。

これは昔も今も同じだ。とくにまずいのは、父親がなろうとしてなれなかった道を子どもに強いたり、母親が単なる虚栄から子どもに道を選ばせるケースだ。でともは従おうにも興味がなく苦痛ばかりを味わわされる。

「したがって、子弟の教育状態を見れば、父親の人物のほどがわかるといわれる。子供が自分に適した道を歩んでいれば、父親は賢人ということができる。

それには、とにかく子供がどんな道を好んでいるか、それを見てやることが肝心だという。あたりまえのことなのだが、実際はなかなかできない。

あたりまえなことなのだが、実際はなかなかできない。

馬や牛のよしあしの鑑別で名をなし財を築いた人がいる、例を並べている。このように技能 の道を選んで成功した例は無数にある。

一方、嫌がる勉強を強いて、あたら才能を埋もらせせたまま人生を送ってしまった例はそれ以上にある。親はあまり賢いとはいえないようた。

しかし、自分が左遷や降格の憂き目にあったら西郷に学ぶことだ。つまり、自分のいる場所で、何か一つでもいいから、今いる場所の人たちの役に立つことをしていこうという姿勢である。いわば、ヒューマニズムだ。そしてそのヒューマニズムを実行することが、やがては自分の身を救うことにもつながっていく。

よく、職場を「芝生」にたとえる。職場によっては、芝が青々と繁っているところもあり、あるいはちょぼちょぼ少ししか生えていないところもあるからだ、これは、やむをえない。だから、人事異動がいろいろと関心を呼び、栄転だ左遷だと騒ぐことになるのだ。

しかし、物は考えようである。もし、自分の行った先に芝が少なかったら、後から来る者のために、一本でもいいから自分の手で青い芝を植える努力をすべきである。それが、後に続く者たちへの心配りであり、人間の持つべき優しさだろう。まして、左遷だ、降格だと思うのならば、その傷は間違いなく痛いはずだ。自分の傷が痛ければ、他人の傷の痛みもわかるはずである。

そういうときに、自分のことばかり考えて、残り少ない芝をむしってしまって荒らしたり、周りに噛みついたりするのは、愚の骨頂だ。そこで働いている人たちも、心を持っている人間だ。そういう人たちが、「ここは島流しにあった人間が来る職場だ」ということを言われたら、どんな気持ちがするだろうか。

西郷隆盛はそういうことを知っていた。だから、彼は初め「島の人間は毛唐だ」などと言いながらも、しだいに島の人々に同化していった。島の人の心を自分の心とした。この心構えが必要なのではなかろうか。いつまでも「ここは島流しにあった人間の来る島だ」などと言っているのでは、西郷が初めに持った「ここの人間は毛唐だ」という蔑みの気持ちを最後まで持つことになる。

西郷が二度の島流しで体験したのは、おそらく自分自身との戦いだったに違いない。つまり、島の人間を毛唐だと蔑み、ここは左遷地だ、流人の島だと考える地域観や、人間観との戟いであった。

西郷はそれをみごとに克服した。

長い日でみれば組織人にとっての左遷や降格は、いい経験になるかもしれない。左遷や降格が、不当な処置によって行われる場合もあるだろうし、また逆に自分では気がつかなくても、組織の論理、あるいは他者の論理によっては、それが妥当だという場合もある。この場合には、こちら側の論理、つまり、個人の論理は通用しない。これは、善悪ではなくて、論理対論理の対決にほかならないのだ。そうなると、一種のスポーツではないが、そういう論理に対抗する論理を新しく生み出す努力をしなければならない。新しく論理を生むということは、「自分を変革する」ということだ。古い自分にこだわり続け、「自分は絶対に間違っていない」という態度をとり続ける限り、天も助けてはくれない。やはり、自己変革が必要だ。この変革をするときに何よりも大切なのは、「自分の行いが、誰かさんの役に立つ」 ということだ。それがなければ、いくら自分を変えてみても、それは結局は自分の個人的欲望を満たしたいがための変革に終わってしまう。

そういう変革は人の心を打たない。だから味方もできない。最後まで孤立して、いよいよひがむ。周りに向かって当たり散らす。結局は、精神的孤児になり、世間を全部敵に回してしまう。味方を失い、自分の生きる場を狭めるための加速度を加えるだけで終わってしまうのだ。

しかし、だからといって、この自己変革はけっして自己の根幹を変えたい、あるいは自分をそういう目にあわせた層に対しておもねったり、卑屈になったりすることではない。

日常生活は地味です。平凡です。毎日の努力は苦しいし、楽しいことばかり

あるはずもない。それに出べると、たとえば、恋愛には”ときめき”があり、

ドラマがあるように思える。自分が小説の主人公になったような気がする。

しかし「面白くないから」といって、歩むべき軌道を外れて恋愛などに飛び

込んでも、それは逃避です。夢を見ているようなものだ。夢は、見ている時は

本当だと思ってしまう。

恋愛に逃避しても、実際には、楽しいことばかり続くはずがない。

だんだん苦しいこと、悲しいことが増えてくる。どんなに逃げても、

むしろ、自分からは逃げられないからです。弱い自分のままでは、

どこへ行っても、苦しみしかない。

自分で自分を変えないで、喜びはないのです。


人間関係の悩み

人間関係は、その通りだねを前置詞にすればいい、どんなに同意できない言葉でもその通りだねを置いておけば、正解は通過し不正解は跳ね返る「その通りだねでただ流しとくけど」でカドが立たずにうまく回る油になる。

人生は「マラソン」だ。初めのうちびりであったって、何もかまわない。そ

れで自分をあきらめて、走るのをやめたら、それこそ「終わり」です。つまら

ない人間になってしまう。

今、夢がある人も、ない人も、ともかく走り続けることだ。

また、人生は「総合競技」です。一競技で負けたって、ほかで勝てばいい。

何かで勝てばいい。「あきらめない」ことです。そうやって苦しんだ分だけ、

自分の「魅力」になっていくんです。

勝つためには、一度は負けなければならない。

まず、ただ若いというだけで有利な点は山ほどあります。唯一、足りないのは経験くらいなもの。「不可能などない」と思えるのも、大きな強みです。若者には困難も不可能もありません。チャレンジ精神に満ちあふれています。だからこそ、企業には若者が必要なんです。若者がいない企業はどうしても受け身になり、保守的でリスクを恐れる傾向が強くなります。不可能だと言われる仕事や難しいチャレンジ、画期的な製品に取り組むには、若者のエネルギーが必要なのです。

さて、「若いうちに何をすべきか」という質問ですが、答えは自分を磨くことです。皆さんが学んでいるような学問は、ルールを理解し、基本的な事柄を知るという意味で大切です。しかし、それ以上に大切なのは、人と一緒に働く環境に身を置く、そこから学ぶという体験です。たとえば、夏休みにどこかの会社で一、二カ月働く機会があれば、非常に有意義な体験ができるはずです。

そして、いずれ就職し、居心地のいい部署での楽な仕事と、最前線でのタフな仕事と、どちらかを選ぶ機会が訪れたなら、迷うことなく後者を選んでください。最前線で大変な仕事をするほうが、はるかに自分のためになるからです。問題が多ければ多いほど、解決に貢献できます。一つひとつの問題を解決していくプロセスで、自分が勤める会社のことも、一緒に働く人たちのこともより深く知ることができるのです。さまざまな経験を積み、何事にもチャレンジして、失敗から学んでください。

失敗すると、もうだめだと落ち込んで、会社を辞めてしまう人もいますが、それは間違いです。

最初から成功する人などいません。勝利を手にするのは、「失敗は成功のもとだ」と考えられる人です。勝ち方を学ぶためには、失敗を経験することも必要です。ミスをおかしたり、何かが間違っていたときは、その原因を突き止めなければなりません。それさえわかれば、次回はもっと良い結果が生まれ、その積み重ねで勝利することができるのです。

失敗したことにうろたえて、気づかないふりをしたり、隠したり、原因を追究することなく放置すれば、失敗から学ぶことにも失敗し、二重の失策をおかすことになります。人は自分の失敗から学ばなければなりません。実績を示すことができる人間になるには、失敗に学び、状況を冷静に分析する能力が必要なのです。

自分が進む道について多小なりとも考え始めたのはこのときですが、結局決め手となったのは、理屈ではなく、どちらかと言えば感情でした。私はパリの大学に通っていましたが、いずれは家族の待つブラジルヘ帰って仕事をしたいと漠然と思っていたからです。そんなときに、たまたまミシュランが、将来的にリオデジャネイロに赴任する気はあるかと打診してきたので、渡りに船と思って決めたわけです。

本当にしたいことが自分でも少しずつわかってきたのは、就職してからでした。ですから、皆さんも、現時点で将来に対する明確なビジョンがないからといって焦らないでください。はっきりしなくて当たり前なのです。たとえ大学や就職先を選ぶときに、これといった青写真がなくても、大いに成功する可能性は十分にあります。自分が何をしたいのか、どんな企業で働きたいのか、そのうちに、おのずとわかってくるものです。私の場合と同じように、さまざまな経験を重ねていくうちに見えてきます。

早くいえば、江戸の人間はある意味で擦れっからしだ。毎日数十万の人の間で揉まれて生きているから、感覚が鋭いかわりに、容易なことでは勧善懲悪の情も素直に受け止めない。

したがって、どこかの時点で歩みを止めてしまった人、もうこのあたりでよいだろうとか、努力してもそう変わることもないから気楽にやろうと思って、

君子への登山を止めてしまつた人には、大変厳しく批難します “

『論語』の中に、左ぺージの文章がありますっ声に出して読んでみてください。

弟子の再求が、

「先生の説かれる道をよろこんで受け容れないわけではありません。私の力量が足らないのです」といいます。

聞きようによっては、先生の説く君子の道は、私の力量ではとても無理ですから断念しますということです。

これに対する孔子の発言は、 「もし力不足ならば、途中で止めてしまうはずだが、お前はここまで続けて来たではないか。お前は自分で自分の限界と決めてかかってしまっているのだ」

というのです。

自分で限界だとして「私は無理です」としてしまうほど、恐ろしいことはありません。これではなにごとも成就しません。

よく見受けられるケースは、ほとんどがこうしたものです。他人からいわれる前に、自分で引き下ってしまう。トコトンやりもしないで諦めてしまう人が何と多いことがです。

「教えとは何か」といえば、猛禽や猛獣にならないこと。

つまり人問らしさを磨くと いうことなのです。

細井平洲の講義の妙味だ。つまり、話というのは、

「何を話すか」

という内容と、

「どのように話すか」

という表現との二つで成り立つ。もちろん内容がくだらなければ、どんなうまい話し方をし ても意味はない。が、だからといって、

「どんな話し方をしようと、内容さえよければ必ず相手に伝わる」

と思うのは錯覚だ。傲慢でもある。細井平洲はこの辺のことを心得ていた。平洲は、 「どんなにすぐれた内容でも、聞き手の水準に合わせて表現方法を考えなければ正確にこっち のいいたいことが伝わらない」

と考えていた。この辺は、平洲が若い頃から江戸の両国橋のほとりに立って、いわゆる “辻 講釈 “を行なっていた経験が役に立った。かれが街頭に出たのは、 「字も満足に読めないような人々が解るような表現方法で話を伝えなければ、決して実学とはいえなぃ」

つまり平洲にすれば、自分の学問がいま生きている人々に役立たなければならない、という実学的態度をとる以上、現実に生きている人々を選り好みはできない。一定の教養がある人だけを相手にして話すのはたやすい。

いままで、学問とはほとんど縁のなかった人々にも、 「ああ、学問というのはこんなにも面白いものだったのか」 という興味を持たせることからはじめなければならない。江戸の街頭講釈で十分経験を積んだ平洲は、米沢に来てもその経験を生かした。だから、米沢の純朴な人々は飛びついた。

小学校の教員は大方の企業と違い、初任者つまり新入社員から、ベテランと同じ仕事をやらせるのです。つまり担任としてクラスを持たせます。隣りのクラスではべテラン教員が同じ仕事をしています。

師範館の卒塾生は、若い人でニー、ニニ歳ですから、こういう人が卒塾して、区内の小学校に配置され担任としてクラスを持たされると、心配で心配でたまりません。

心配の余り、様子を見に行ったり、見てきた報告を聞いたりします。

通常であれば、とくに会社であれば、新入社員よりもベテラン社員のほうが信頼性があり、仕事もうまくこなすでしょうから社内の評価も高くなります。

ところが不思議なことに、小学校教員の場合は、必ずしもそうではないのです。

初任者は存外、生徒の人気が高く、そのおかげで保護者の信頼を得られたりします。では、小学生はどのような人間に魅力を感じるのかといえば、それは「自分を向上させるのに一生懸命の人」なのです。

自分の至らなさは十分に感じていますから、それを補うべく精一杯がんばるその姿が、感受性豊かな子どもの目には、とても魅力的に映るのです。

それで「この先生は素敵だ。協力しよう」という気持ちになるから、その先生は人気が出てクラスがまとまるのです。

嫁に来てから妻はまめまめしく鶴台の世話をした。ある夜、鶴台が本を読んでいると妻が茶 を入れに来た。

「お疲れでしょう。どうぞ一服なさってください」

そういって茶碗を差し出した途端、懐から赤い糸の毬が転がり落ちた。慌てて拾おうとす る様を鶴台が見咎めた。

「それは何だ?」

と聞くと、妻は真赤になつて、

「可でもありません」

と慌てて隠そうとした。鶴台は聞いた。

「何だ?話しなさい」

困惑の極に達した妻は、しかし鶴台がまじめな表情でじっと自分の顔を凝視しているので、仕方なく話し出した。

実を申しますと、この家に参りましてから私は愚かで行き届かぬものですから、毎日し損じ ばかりしております。

あなたのお世話にも手抜かりが沢山あろうと思います。そこで私は何かIつ失敗をする度に赤い糸を巻くことに致しました。菅卷いているうちに、いつの間にかこんな大きな毬になってしまいました。お恥かしうございます」 聞いていた鶴台は微笑んだ。

「そうか、その赤い毬はそういうことだったのか」と、改めて慈愛に満ちた目で妻を見た。そしてこんなことをいった。

「ぜんぜんよいことはしていないのか?」

「え?」

「この家に来てからし損じばかりしていて、いいことはひとつもしなかったのか?」

そういわれると妻はチラと微笑んでこう応じた。

「いえ、決してそうではありません。いいことも少しはしております」

「その時はどうしているのだね?」

問われて妻は今度は袂から白い糸の玉を出した。鶴台に見せて、「いいことをした時は、白い糸を巻くようにしております」

鶴台は白い毬を手に取って、赤い毬を出させ比べた。ポンポンと掌の上で両者を比べながら

「白い毬の方が、少し小さいかな」

と笑った。妻も笑い出した。そして、

「早く、白い毬の方を大きく致しますから、どぅぞお導きください。あなたは、私の夫である と共に私の先生でもございますので」

鶴台は、

「わかつた。これからもよろしく頼む」

と頷いた。

だからといって滝鶴台は、必ずしも柔かい人柄だったわけではない。正しいことを主張し、 曲ったことが大嫌いだった。それは、誰に対しても同じだった。特に「治者」の立場にある人

細井平洲が人に語ったことがある。

「弥八(霞台の通称)は長州で、ある大身の家に呼ばれた。沢山の武士が来ていて,鶴台にもお呼びがかかったのだ。この時、その家の主人が鶴台に、

夜風呂に入るのはお湯につかることの疲れと熱疲労による疲れで眠らせて夜超回復させることの効果があるのかも、特に推敲なし、睡眠や症状で困ってる人いたらね、

、、さんと、、、さん分析してみてわかった、

、、、さん、、さんをなぜと分析してみると優しいを追求してるんだ、

仁とは優しいを追求することだ、

これね、書く気とタイミング合わなかったんだけど一刻を争う可能性があるかもと書いてみた、

教員の人達にバトン繋がるかな、緊急性があるのと救える命があるかもと思って書いてみた、発展元 心理学の大家さん、教員の人達の持ち物として、

良い人のフリをして近づいてきて皆さんを都合よくコントロールしようとする戦略を仕掛けてくる関わるとやばい人たちです!

その正体はカバートアグレッション!!

今回はカバートアグレッションを見分ける3つのポイントを紹介

綺麗事を言うやつがこの3つのポイントに当てはまる場合は速やかにその場を離れましょう

1.自分が被害者になろうとする時に綺麗事を言う

カバートアグレッションは被害者が強い事をわかっている。自分の権利を強める為に被害者になれるタイミングで綺麗事を使う

2.正当化と矮小化の為に綺麗事を言う

自分がやった行為はそんなにやばい行為じゃなかったと自分の都合の良い側面の時だけ綺麗事を使う。自分の罪を軽くする為に綺麗事を使う

わかりやすい例:ブラック企業の経営者が家族と言って長時間働かせる。あなたなら家族にそんな事をさせますか?

3.罪悪感を煽る為に綺麗事を言う

罪悪感を煽って自分の都合の良い方向にコントロールしようとする為に綺麗事を使う。お互いの為にやろうと言っているのに自分は損をして相手は得をしているなとモヤモヤする時には罪悪感を煽られている可能性があります



あなたの周りにガセネタや嘘の噂をばら撒いて他人を貶めるやつらっていますか?

この様な人は他人が怒っていたり悲しんでいるところを見るのが好きな人たち

ある実験ではネットで荒らしに参加したりフェイクニュースを流す様な人はスルーするのが一番良いという結果が出ている

実験

参加者をたくさん集めてダークトライアドがどういった行動を取るのかを調べた

ダークトライアド

冷酷で自己中で他人の事を犠牲にしても何とも思わない人

人が苦しんでいるのを見ると喜ぶ性格的な性質を持っている人

結果

普通にしている場合は鳴りを潜めている

他人の怒りや悲しみが湧き上がっている状態を見ると喜びを感じる

他人の怒りや悲しみが湧き上がっている状態を見ると喜びを感じるのでネットの荒らしに参加したりフェイクニュースを流したりする



普通の人は他人から感謝されたり称賛を受ける事がモチベーションになるが

ダークトライアドの性質を持っている人は他人を貶めたり怒りの状態にした(怒りを加速させた)状態をみるとモチベーションになる

あなたがこの様な人に絡まれた場合、反論すると火に油を注ぐ結果となっちゃう…

適切な対応方法

基本的な戦略としては無視が一番良い!!

しかし立場上反論しないといけない場合や反論しなければいけない場面もある

そんな時には

怒りや悲しみを露わにしない事が大事(*’ω’*)

真に受けないで小ばかにするのが一番良いと判明している!

「得意なところは誰でもあるんだから苦手なことがあってもいい、偏ってることをみんな偏ってるんだからなにか悪くても馬鹿にしないってのが一つ重要で、しかも何か偏ってたところで強め合うんだからなにか少なくても誉めるみたいな、

つまり日本人はすぐ平均から逸脱するとすぐおだてるし平均から引っこむとすぐばかにするんですけど、そのくせをね、逆向きにするといいんですよね、飛び出してたらもっと簡単に誉めてあげればいいし引っ込んでたら大したことないじゃんっていってあげる習慣をつけるだけで加速すると思いますよ、

まあ要は日本人は同調圧力強いんで他人を誉める同調圧力と他人をけなさない同調圧力を高めればそれだけでね、なんか平均から離れた方向には行くと思いますけどね、一貫すれば、

そこね、それを幼稚、小学生から大人のシニアまで広げたい

弱点だと思うのは、小さい頃から巧詐に浸っちゃうと、あとあとたちの悪い大人になりかねない、・稚誠が育たない、学生の頃はどんぐりの背比べ中の背比べだからそれと勉強していく苦行してるから殺伐とした空気になりやすい、そこをちょっと生成発展しながらちょっと基本知行あげながら認識を幼稚園~大学教育、リクルートOJTで最後まで必須にしたいね、


やり方は国と仕掛け方だと思う、単発としては国から教員それから木の根的に末端にまで到達させる手法ともう一方向からの認識第一認証がそうだと認識させる仕掛けが欲しい、後ろに教員置く二面対応はいいと思うけど、最後は資質と思想認識か、


先生方すいません、命を救うため使わせてもらいます。